な な を 。 の 制 作 本 棚 へ よ う こ そ 。

「楽しい」という言葉の難しさ。

こんにちは、ななを。です。

 

 

 

 

今日こんなツイートを見ました。

 

 

 

この投稿の大筋とは違うのだけれど、

以前から「楽しい」という言葉に対して、難しさを感じていました。

今日は、「楽しい」ということについて考えてみたいと思います。

 

1、「楽しい」とは

 

習い事に求める「楽しい」

 

習い事で「プロを目指すわけではなく、子供が楽しめるレベルで習わせたい」

という言葉をよく聞く。

 

 

 

 

教える側も、昔は習う側だったので

習う側として、その言葉の意味や、感覚的なものはわかるのだけれど、

教える側として、何を持って「楽しい」とするのかは

非常に難しい面があるなぁ、と思うのだ。

 

 

 

 

ピアノの場合、

「レッスンの時間自体が楽しい」と感じることなのか、

「将来的に自分1人で読譜でき、音楽を聞いたときに楽しいと感じる」ことを指すのか、

「楽器から音を出すだけでも楽しい」のか、

「自由に好き勝手に引くのが楽しい」のか。

はたまた

「学問的に理論を学んで、興味深い部分を知って楽しむ」のか、

「自分が弾くだけが楽しい」のか。

 

 

 

 

どれも楽しいし、正解はない。

 

 

 

 

しかし、何を持って「楽しい」とするかも難しいし、

本人が何を「楽しい」と思っているかも難しいし、

側から見て「楽しそう」と思われるものと、本人が「楽しい」と思うものも違う。

 

 

 

瞬間的に「楽しい」と感じるものもあれば、

じっくりジワジワと「楽しい」というものもあるし、

苦労やうまくいかない時間があったからこそ「楽しい」と実感するものもある。

 

また、「このような楽しみ方もあるよ」と

「楽しさの種類」を教えるのも先生の仕事であると思う。

 

 

 

 

「楽しい」と一言に言っても難しい。

 

 

 

 

音楽に求める「楽しい」

 

例えば

「憧れていた曲が弾けるようになった」という楽しさや、

「一つの音楽を追求していく」という楽しさ(面白さ・興味深さ)や、

「音楽は一つの手段で、大会で優勝すること」だけが楽しさ(喜び)になっている人もいれば

ある種の「青春の要素の一つ」として楽しんでいることもあれば

「気分が上がる」から楽しい(特にポップスのライブなど)や、

「日常を忘れる時間になる」から楽しい。

 

 

などと、演奏する側からの楽しみ方と、聴く側からの楽しさがある。

 

 

 

2、学問としての「楽しい」

 

世間一般的に(一般ってなんやねん)

勉強は「大変」、勉強してたら「えらい」、勉強は「子供の本分」

というような価値観が存在する。

(もちろんそんなこと思ってない、という人もいるし、それが普通やろ、と思う人もいるだろう。)

 

 

 

話はそれるけれど、「浪人」という言葉の適切な英語訳はないと聞いた。

それは、浪人という概念がなく、人生のどんなタイミングでも「学ぶ」ことに対して

大学が開かれている場所であるから、というのだ。

 

 

 

外国で勉強したことはないけれど、

なんとなく日本では「勉強は子供がするもの」という風潮をなんとなく感じる一面がある。

 

 

 

そして、勉強し続ける人は、突如嫌煙されたり

(大学院卒の就職しにくさや、「研究諦めるの?やめるの?」みたいな圧力)

という場面に遭遇したりする。

 

 

 

 

また、偏差値で能力を切り取られ、

存在価値と結び付けられる。

 

 

 

受験だから習い事をやめたり、部活を辞めたりするのも、「主要」五教科以外が「副教科」

と呼ばれるのも、なんとなく「学問」として何かを学ぶのではなく「受験」に対して

闘う武器を作っているだけ、

 

 

 

というような一面に出会ったりする。

 

 

 

それが良いのか悪いのか、賛成反対は別として、そういう一面世の中には存在する。

 

 

 

何が言いたいのか分からなくなってきたが、、とりあえず

「学問は楽しい」というものではない、

という価値観がなんとなく強くある気がしていて、

でも一方で、「学ぶことは楽しい」と感じる人もいるし、

それは、主要五教科に限らず、何かを「知る」ということや

何かを手に入れていくようなことを楽しいと感じる人もいる。

 

 

 

3、何が難しいか

 

多分、なぜ難しいと思ってしまうのかというと、

前提として、自分は楽しいと感じているものを

まだ楽しみ方を知らない人に、楽しみ方を教える

ということは、「専門知識を教える」とはまた違うスキルになるからなのではないだろうか。

 

 

 

しかし、楽しんでいる人を見ると、楽しい気分になれる、

と言ったようなYoutuberを見てしまう原理だったり、

 

 

 

「業界を変えたいのなら、自分が実力とその能力をつけるのが一番手っ取り早い」

(最近見た記事での言葉)

という考えを聞くと、

 

 

 

結局先導する人の言動に人はついてきて、

要は背中を見て自然とそういう人が集まってくるんだろうな、

と思い始めた。

 

 

 

 

とにかく、

 

「楽しい」という言葉一つとっても難しいなと思うのだ。

 

 

 

 

深く考えすぎだろうか。

 

 

 

 

おしまい。

 

 

〜今日の小話〜
自粛が終わったら、社会の波についていけるだろうか。

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