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浪人は辛いか?仮面浪人の2年間の価値観。

こんにちは、ななを。です。

 

 

 

最近、現役の時を知っている先輩に「高校の時尖ってたよねぇ〜」と言われました。笑

 

 

 

多分年々丸くなっていっている(はず)なのですが、

浪人したときの価値観が面白いのでちょっぴり思い出話を。

浪人期の詳しい話は、いずれします。

 

 

浪人経験者以外に「浪人」の話をすると、

何だか腫れ物扱いされることが多いんですが

 

 

「なんや、おもろい話やなぁ」

 

 

くらいのテンション感で読んでください。

それではどうぞ〜!

1、3年間の受験生活

 

ありがたいことに、3年間も受験生をさせてもらっていた4年前。

結局合格したのも、滑り止めで受けていた学校で、

その時はすでに「受かってしまった。」

という気持ちにさえなっていた。

 

 

 

第一志望校だけを夢見て練習していたし、

関西での生活は予想すらしていなかった。
(第一志望校は東京だったので)

もう第一志望校には行くことはないのだなぁという気持ちと

これから頑張ろう。という気持ちと

合格したという普通に嬉しい気持ちと。

何だか複雑だった合格発表。

 

特に期待もせず見たTwitterのエゴサで知った合格。

母は掃除機をかけていて、

「え、本当に?間違いじゃない?」

と一言目に。

 

 

 

 

そんな合格発表だった。

 

 

 

 

そんな不思議なテンションで4年間のスタートに至るまで

どんな日常を送っていたか振り返ってみる。

 

2、仮面浪人への道

 

ただ「浪人」と言っても私は仮面浪人で、短大に通っていた。

 

元々高校でさえも

「高校行くよりも、塾とピアノだけに行く生活がいい。学歴は認定だけでいい。効率良い方がいい。」

と中学時代の私は言っていて、両親に

「学校に行くのは人間関係とかも学ぶためにあるのよ」

となだめられた・・・というような価値観の人だったので

 

 

大学も第一志望校がダメだった時に、宅浪を望んだ。

 

 

しかしまぁ学校の先生には

「どっかに所属すると安心するよ」

とか言われたし、実際高校の進学率に関わるのでそう言っていたのだろうけれど、

 

 

宅浪について相談した先生には、

「は?浪人?君が自宅でできるわけないじゃん。予備校に行ってせいぜい頑張りな。」

と言われたので、絶対に予備校には行かないと決意した(ひねくれ者なので)。

 

 

通っていた英語の塾の先生に

「そこ、どんな学校か知ってる?受かるわけないよね?」

と毎度言われ、まぁそうやわな。

と、思いながら通うのをやめた。

 

 

 

そんなこんな言われたけれど、

「今の貴方は短大で学ぶことはたくさんある。」

という両親の言葉によって、唯一合格していた短大に進学を決意した。

 

 

 

3、短大の2年間

 

進学して1年間は、友達を作らなかった。

作れなかったのか、作らなかったのか、と言われれば、

「作らなかった」と言うことにしているのだけれど

2年目になって「1年生の時にいた?」

と聞かれるくらい存在感を消していた。

 

昔から知っていた友人とのみ過ごした。

 

 

あとは、一限前に学校に行き、練習し、一限に出る。

単位は他の専攻の基礎科目までとっていて、

これでもか、というくらいフルに授業に出席した。

 

休み時間は御行儀悪く、お昼を食べながら練習し

 

他の学科の先生にソルフェージュを教わった。

 

夜は学校が閉まるくらいまで練習し、帰ってまた練習し、

気が向けばセンターの問題を解いた。

 

 

時々そりゃぁ遊びにも行ったけれど、本当に数えるほどしかない。

 

 

 

今もし同期にそんな人がいたら、絶対に友達になりたくない。

というような学生だったように思う。

 

4、そんな中の2浪が決まった時

 

そんな私は呆気なく不合格になるのだけれど、

2浪はさせてもらえない予定だった。

 

しかし、短大は2年間だし、どちらにしろ進学(プラス2年の専攻科)があるので

2浪を頼み込んでさせてもらった。

 

 

1浪目は勢いだったけれど、2浪目は180度違う生活スタイルになった。

ただただ練習するだけでなくて、友達も作ったし、遊びにも行ったし、

なるべく美術館や演奏会や講習会に参加するようになった。

 

 

まぁそれはどうでもいい事で、結局第一志望校に受かることはなかった。

 

 

 

受験のお陰様で、高校の卒業式には出れなかったし、成人式の同窓会は出ていない。

式典のみ成人式は出たのだけれど、
その次の週にセンター試験と、卒業試験と、エチュード試験と専攻科の受験があって、
翌月から第一志望校の受験があり、滑り止めはその翌月にあった。

SNSは軒並みログアウトして、ラインすらも1ヶ月ちょっとやめていた。

 

5、そんな私の価値観

 

・・・・というように前置きが長くなったのだけれど、

そんな浪人生活を送っていた。

 

 

 

今思えば、浪人させてもらえて、本当に恵まれていて

ありがたいし、第一志望校には合格できなかったけれど

先月卒業した学校に通うことができて、本当にたくさんのことを

学ぶことができた。浪人した期間と、その後の学生生活は本当に貴重な時間だったと思っている。

 

 

 

 

しかしまぁ浪人中は、電車一本乗り遅れるだけで病んでいた。

「あぁ。間に合わなかった。

間に合わなかった?それは電車だけ?

受験もそうじゃない?同い年の人はもう次のステップに行っているのに

自分はまだ次の電車を待っている。

乗ることができるかわからない電車を。

前の電車に乗れた人とは、もう追い越すことはできない。

特急はあるけど、乗れる人は限られているし。

行く方角を変えた方がいいのか?

私が乗る意味があるのか?」

 

 

みたいな、いちいち病んでた。

 

 

遊びに行く時にも

 

「今から何分分練習できない。帰って練習しても何時間しかない。

その間みんな練習してるのか。ああ。罪悪感」

 

 

みたいなことになるし、

合格したとて

 

「ああぁ。結局自分はこの同期と並ぼうと思うだけでも3倍以上労力が必要なのだな」

 

と心して日々を過ごしていた。

 

 

 

まぁ、そんな価値観で生きていたら当然疲れるわけで、

大学入学後、気が狂ったように遊び呆けた時期があったけれど、

それもまたいい思い出である。

 

 

朝まで飲んで、そのまま早朝バイト行って、一限に行って、練習して本番をする

 

 

みたいな生活は、もう2度としないだろう。少なくとも朝まで飲むことはもう無理だ。笑

 

 

6、浪人は辛いか?

 

結果、私は楽しかったと思っている。

させてもらえて本当に良かったし、

あんなに好きなことだけをさせてもらえる時間は

今後こないだろう。

 

 

浪人を迷っている人が今いるならば、

家庭や、周りの環境が許すならば

勧めるとまでは言わないけれど、賛成はする。

 

 

自分の浪人が決まった時の、

「宅浪?無理でしょ」

とか

「所属しとけば安心するから、とりあえず受かったところ行けば」

みたいな事は言いたくなくて。

 

 

そこには、それのいいところがあって

自分にしか体験できないことがあって

その期間を良かったものにするか、悪かったものにするかは

自分次第だよな。

 

と思う。

 

何事も前向きに捉えて

アドバイスできるような指導者になりたいものである。

 

 

 

 

おしまい。

 

 

〜今日の小話〜
こんなひねくれた投稿をしてしまって、応援してくれた人には本当に申し訳ない気持ちだけれど、
ちなみに、お前には無理だろ、と言った先生に言いたい。
現役の時より筆記の勉強時間は減ったのに、現役の時より40点上がったのは、何ででしょうねぇ。と。

2 Comments

Y.T.

「浪人は辛いか?仮面浪人の2年間の価値観。」の記事を拝見しました、Y.T.と申します。私自身も両親のおかげで1年間の浪人を経験できました。これは、私見ですが、横並び文化が根強く残る日本社会では隣の人の顔色をうかがって行動することが一般化されつつあります。その渦中にあっても、10代後半にして大きな流れから離れてでも自分の興味に向かって素直に突き進んだその気概は今のnanaoさんの進路選択を強固な土台として支えてくれているんだと思います。人生、塞翁が馬。何が起こるか分からない世の中であるからこそ、周囲の同調圧力に屈しない姿に力をもらいました。ありがとうございます。

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nanao

コメントありがとうございます、そう言っていただけて嬉しいです。そんなコメントをくださったY.T.さんから私も力をもいただきました。お互い前向きに生きていけるといいですね!

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