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「役に立つ」「問題解決」という言葉への違和感。【言語化力】

こんにちは、ななを。です。

 

 

 

以前、就職活動をしていた際、言葉への違和感を感じることが多くなりました。

 

 

「役に立つ」「問題解決」「成長」「キャリア」「音楽は癒し」

 

 

 

深そうで浅そうなこの言葉たち。

 

 

 

言葉にすると、物事の密度や充実度が途端に軽くなる感覚に
陥ったことありますか?

 

 

 

 

纏(まと)っていた雰囲気や、世界観。小さな気配りや、心意気など、
何か突然消え去ってしまう感覚に陥るのは私だけでしょうか?

 

 

 

 

感覚という見えぬものに頼って、甘えているだけなんでしょうか?

 

 

 

 

今日は、そんな言葉への違和感のお話です。

1、「役に立つ」、「音楽は癒し」という言葉

 

さて、就職活動の際に「『役に立つ』物がビジネスである。」という企業説明をする企業が多かったように思う。

この話を友人にしたら、「そうでない会社もあった。『社会貢献』という言葉を使う会社もある」という風に聞いた。

 

 

 

確かに業界にもよりそうなので、一概には言えなさそうだ。

しかし、本当に「役に立っているのか?」という物がビジネスになっていたり、ビジネスだけれど、「誰かの役に立つ」という表現は似合わないものもあるように思う。

 

 

 

音楽だって「役に立つ」職業なのかと言われれば、誰の役に立っているのだろうか。

役に立っていないわけではないけれど、もっと違うベクトルでの価値観があって、その対価がお金やそのほかのものになっているのではないだろうか。

 

 

 

 

大学に入り、何かを「言語化しなければならない」という場面になることが多かったし、自らその環境に身を置きにいった。しかしまだまだ短いこの人生と、言語能力では、「音楽がどのような価値を含んでいるのか」ということを、未だに言語化できない。

 

 

 

 

自分にとっての「音楽」の存在については、少しずつわかってきたように思うけれど、本質は何で、果たして世の中からどう求められていて、今の世の中ではどういう存在なのか。いまだに言葉にできずにいる。

正確に言えば共通の言語として表現できないのかもしれない。

 

 

 

 

このモヤッとした気持ちが「役に立つ」への違和感につながっているようにも思うけれど、もしかしたら「芸術の価値を考えていくこと」自体が芸術なのか。というとても思考を放棄した考えに至っている。

 

 

 

 

付け加えて、そんな私にこの記事は少なからず共感を持つことができる文章だったのでURLを載せておく。

参考

芸術が社会に役立つということTANUKINOHIRUNE

 

 

 

 

この記事にも同等のことを書いているけれど「音楽は癒し」「今の世の中は癒しの音楽を求めている」というような言葉への違和感は「役に立つ」と同じようなものを感じる。

 

 

 

「癒す」という面もあるかもしれないけれど、私の意見としては「何かを感じる」くらいならまだ許せるような気がする。

 

 

 

 

すごく安易な言葉で言えば、それは「一緒に落ち込むためのくらい音楽」でも「一緒に盛り上がるためだけの一体感を生むだけの音楽」「社会を批判する音楽」「誰かの心を病ませる音楽」など全てを含むと思うのだ。

 

 

 

 

最近「弾いてみた」や「多重録音」が本当の芸術か?本物の音楽か?という話題は至る所でされているように思うけれど、そもそも「本当」「本物」とはなんなのだろうか。

 

 

 

 

自分が目指す音楽はあるし、自分の信じる「真の芸術」みたいなものはあるけれど、世間一般のいう「本当の芸術」は何を指すのかを理解するには、私にはまだ時間が必要なようだ。

 

2、問題解決

 

さて、就活では「役に立つ」と同等の頻出度を誇る「問題解決」。

これもまた「問題解決こそがビジネスだ」というような発言が多くあったように思うけれど、果たして問題を作り出す営業は、本当の問題なのだろうか。

その需要を生んだことによる問題の発生への罪はないのだろうか。

 

 

 

なんて思うのだけれど、分業制の今の会社社会における需要の広げ方は、今のところ正解なのかもしれない。

 

 

 

 

こんな社会の端くれが言うことでもない気がしてきた。

次の言葉にいこう。

3、成長、キャリア

 

さて、成長、キャリア。

 

「成長って言葉は、やってきた過程を後から見て、

 

『成長したね』

 

と第三者が使う言葉であって、自分が何かをする前に”want to”として使うのはなんだか違う気がする。

 

 

同じくキャリアと言う単語も積み重ねたものに対して使うのが通例な気がするのだけれど。」

 

これは以前友人と話した時に、友人が言っていた言葉である。

私の違和感が、納得に変わった。確かに子供は「私成長するぞ」と思って成長しているわけではないし、ある地点に来て、第三者から「成長したね」と言われて初めて認識するものだと思う。

 

 

 

 

けれど、何も知らない仕事や業界に対して「成長」をすることを自ら発すること自体がなんだか違和感で、

 

「自粛の要請」

 

という言葉を最初に聞いたときの「自ら粛することは、人から要請できるものではないだろ。」と言う違和感と似ていて、

 

でも、気づけば世の中は「自粛の要請」という言葉を聞きすぎて標準語になってしまいそうな風潮さえある。

 

 

 

このなんだか、モゾモゾする感じと似ている。

 

 

4、語彙力不足ではないですか

 

結局今私たちは「語彙力不足」なのかもしれないと感じる。

私自身、まだまだ知らない語彙が多くて、「言語化」するだけで、価値観が平面化するような感覚になってしまう。

特に本業である音楽ではそのように感じているし、音とセットで、初めて意味をなす気がしている。

そのためこのブログ上では、あまり音楽の本質に触れないようにしている。

 

 

でも思ってみれば、平安時代だって、平成だって、「いみじ〜」「いとをかし〜」「超ヤバイ〜」と言った言葉が流行っているのだし、元々そんなに言語の幅がないのかもしれないけれど、今一度「多用されすぎる言語」について、少しでも「疑う」心はあってもいいのではないかと思うのだ。

 

 

 

いつの日か、この違和感を言語化できる日は来るのだろうか。

 

 

 

まぁ、そんなことは、誰からも求められていない気がするけれど。

 

 

 

 

おしまい。

 

苦手克服 第1弾 きっかけを知る
苦手克服 第2弾  実践している3つのこと

 

〜今日の小話〜
この話は、ブログを始めた当初からネタ帳に書かれていたのだけれど、まとまらずに今日まできた。
でも、今日この時点で感じていることを書いてみようと思って、投稿した。
考えは日々変化していくはずなので、いずれまた書いてみようと思う。

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